小川さん憶えてますか。
市内ボランティアサークル間の交流会を計画しようと、会議をした席上のこと。
「レクをしたら、障害者は、置いてきぼりで、ボランティアだけが楽しんでいる」 小川さんの発言でしたね。
あの頃のボラ協には、各区に地域活動部があって、小川さんが率いる「はーもにー」というボランティアサークルは、とても活発に交流会を開いていました。
「行なうほどに悩ましい」 意外にも小川さんのジレンマを聞いたようでした。
でも、この難題をみんなで話し合い、生まれてきたのが「風船バレー」です。
「チーム内、みんな一度は、風船にふれて返すこと」 どこにもない、このルールには、小川さんの思いがこめられていたのかもしれません。
確か、この風船バレーを試したのは小倉北体育館。
「こまかなルールは、ゲームをしながら」と実にいい加減ながらも、楽しくって、最後の方には、何だか試合らしくなってきましたね。
今や、振興会によりルールが定められ「ふうせんバレー」となって、全国に広がってきました。
この中で、ずっと全国大会を支えてきた小川さん。
先日は「小川恭弘さん応援カップ」が聞かれました。
長崎、大分。遠くは、大阪からと、たくさんの仲間たちが、小川さんに会いたくて集まっていましたね。
小川さんはすごい人です。
「みんなが喜んでくれたら、こっちも嬉しい」いつも、こんなこと言ってましたね。
でも、これって、ボランティア活動の基本ですよね。
ありがとう小川さん。
ご冥福をお祈りします。