ばあちゃんの携帯から孫に送られてきたメール。
「いけめんはこかんがかゆいらしいあんただいじょうぶ ね」
これを解読するとこう。
「イケメンは股間が痒いらしいアンタ大丈夫ね」
この最高に愉快なばあちゃんとは、僕の亡き母のこと。
80歳にしてメールを楽しむ母だったが、段々と漢字変換ができなくなり、平仮名だけになっていった。
あれほど得意だった料理でも鍋をよく焦がし、味も愕然と変わっていった。
電気ポットに米を入れていた時なんかは、「ボケとるんか」と、さすがに怒った。
便座を下げず用を足したので、便器にはまって、もがいていたり、
肌着のシャツを一 生懸命に履こうとしたり、
そんな姿を見た時は、情けなくなって母の前で泣いた。
「アメージンググレース」の曲で「涙そうそう」を歌っていたり、
太い眉毛の男性に「西郷さん」と声かけていたり、
母のやること成すことに腹を抱えて笑った。
昔のことは憶えていても最近のことは全て「初めて」と言っていた母。
そんな母の介護は、「怒っ て」、「泣いて」、「笑って」の繰り返しだった。
それでも、夜中の介護はきつかった。
眠れずに朦朧とした頭の中で、失禁した母を着替えさせていた時、別の感情がこみ上げてきた。
「もう、勘弁してよ」と。
僕は疑う。
在宅介護する者に監督責任を求めるよりも、国の責任は、どこにある。
ついには、メールはおろか、電話をかけることすらもわからなくなっていった母。
でも、僕の携帯には母からのメールが保存してある。
「頑張ってね。ははより」