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55:修行の旅2

霊峰高野山の夜は冷える。まだ10月というのに部屋に暖房を入れた。
修行体験の第2弾、深呼吸をして写経に向かった。
写経といっても、薄く書かれた般若心経を筆ペンでなぞる。それでも、日頃、筆を使うこともないから、四苦八苦、心を無にして、祈りをこめて書いていった。

宿坊の寺は、世俗の音が無い。そそぐ暖かな風の音だけが聞こえた。そんな中、「シュール、ポポシュ…」
ふすま一枚へだてた隣の部屋から声が聞こえてきた。
それは、夕方、見かけたフランス人の女性の声だとすぐにわかった。
「仏の国から来ました」
冗談交じりに自己紹介していた10人程の団体に、フランス映画に出てそうな超綺麗な女性が2人いた。

話しかけたかったけれど、今は修行の身。ましてや、3までしか数えられない程度のフランス語力では、どうしようもなかった。
気を取り直して、写経を続けたが、声が気になる。
何を話しているのか、さっぱりわからないけれど、耳元で廿く囁かれているみたいでくすぐったい。
「ふすまを開けたろか」
集中できない情けなさに、筆ペンを放るとその場に寝転び、思いを巡らせた。

般若心経は、こう説く。
「世の中のあらゆる存在(色)は、感覚から得られた印象にすぎない。
印象ゆえに実体はなく、移ろう夢のよう(空)だ。『蝶々は綺麗で蛾は汚い』これも人間の勝手な印象。
こんな無為な価値観に執着していてはいけない」と。

「今、これって色即是空?」ティッシュで、耳栓して、ふたたび筆ペンを走らせた。