このボランティア物語を連載して、今回で50回を迎えた。
でんしょ鳩が、年6回の発行だから、8年を越える。
ずっと書いていると、意外な人から「楽しみに読んでるよ」と言われたり、中には感想を知らせてくれる人もいたりして、どこかで誰かが何かを感じてくれている。
そう思うと本当に嬉しい。
そこで、初回からの原稿を読み返したけれど、偉そうなことばかり書いてあった。
「であい、ふれあい、たすけあい」などと、こんな美辞麗句を並べながらも、僕の心には、聖と俗の世界がある。
それは、滅多にないことだけど、ボランティア活動をしている時や介護をしている時、ふと、差別的な感情が込みあがり、心の中で葛藤が始まる。
丁度、左右の耳の横で、神と悪魔が現れてくるように。
このコラムによく登場する良さんを介助している時でも、「障害者だから…。」と見下してしまったり、「障害者のくせに…。」とイラッときたりする。
さすがに、言葉には出さなくとも、態度は明らかだ。
その都度、「違う、違う。」と目を閉じ首を振ると、悪魔が退散していく。
辛 淑玉さんは、こう言う。「『差別は享楽だ』。自分は他者より優位だという感覚は『享楽』そのものであり、一度その享楽を味わうと、何度でも繰り返したくなる。
特に人は、自分より強いものから存在価値を否定されたり、劣等感を持たされたりしたとき、自己の劣等意識を払拭するために、より差別を受けやすい人々を差別することで、傷
付いた心のパランスをとろうとする。」
時々考える。「聖と俗にゆらぐ僕が、ボランティアしていいのだろうか?」