子ども専用電話「チャイルドライン」の活動をしていて、一番腹立たしいのが体罰だ。「学校に行きたい。でも、あの暴力教師の車を見ると校門を通れない。」
不登校のレッテルを貼られた子どもは「あの教師のせいだ。」とも訴えられずにいた。
思えば、僕らの学生時代は、体罰が普通にあった。
遅刻すると正座、忘れ物にゲンコツ、規則違反にはビンタ。教師の機嫌次第では殴られもした。
私物検査の度、髪をつかまれ、やじられた。ついには「私は天然パーマです。」と証明書を提出させられた。
それでも、これは差別行為とすら認識できなかった。
唯一の反抗は、唾を吐き捨てる思いだけだった。
この時の後悔が、活動の元になったのかもしれない。
「無能な教師ほど、暴力に頼るんだ。」
「愛のムチなんか錯覚だ。」
チャイルドラインに届く子どもの声は的を射ている。
以前、市内の高校生に「子どもの権利」についてアンケートをしたところ、知人の教師から電話があった。
「下手に学校に権利を持ち込むと集団秩序が乱れてしまう。あなたの意図を確認したい。」
学校でも家庭でもそうだ。
子どもは、大人に対して従順でなければならない。
大人たちもまた、弱き者は貝となり口を閉ざし、強き者の力にひれ伏している。
自らの権利を知らない大人が、どうして子どもに権利を教えられようか。
「欧米は、子どもを育てているが、日本は、子どもに育てている。」
夢を抱けない子どもの姿は、今の社会を映し出す。